2023年4月15日発行健康塾通信21号掲載

健康塾通信 寄稿

 

「不思議なギターとのご縁」

                               高橋 通康

 

74年間の私の人生を振り返る機会を頂き厚くお礼申し上げます。
一言でいえば、「クラシックギターを通して多くの素敵な人々との出会いに感謝でいっぱいな人生」と言えますが、次の3つの言葉に要約して振り返ろうと思います。

 

第一の言葉は「失ったものを悲しむのではなく、残ったものを活かして生きる」
第二の言葉は「継続は忘れたころに報われる」

第三の言葉は「ご縁こそ宝」

 

194812月生まれの私とギターとの付き合いは、14歳の時のクリスマスプレゼントから始まりました。中学2年の技術家庭の先生からクラシックギターの教則本を渡され、独習で初級の練習曲を11曲こなしていきました。高校1年の担任が偶然クラシックギターをされていたことからギタークラブ「カルカッシ研究会」を創部して3年間活動し、一生の愛奏曲といえるF.タレガ作曲の「アルハンブラ宮殿の想い出」を自分のレパートリーにしました。

高校卒業の年の9月、浪人でしたがOB10人と現役30人の合同コンサートを京都府立勤労会館大ホールで開催し、1300人のお客様に来て頂きました。私にとって人生最大の聴衆のコンサートで、アンサンブルの他独奏で「アルハンブラ宮殿の想い出」を演奏しました。(この時の演奏はYouTubeにアップしており、高橋通康で検索してもらうと見つかります)
 京都大学入学と同時にギタークラブに入部し、3回生の定期演奏会の時に一生の目標曲となるJ.S.バッハの「フーガBWV1000」を演奏しました。

就活でも人事担当者がギターをしていたことから気が合い、就職後すぐに職場でギタークラブを創部し、毎年クラブ活動として発表会を開催しレパートリーの維持が出来ました。
 1990年(41歳)の2月に、スペインのグラナダにあるアルハンブラ宮殿で「アルハンブラ宮殿の想い出」を演奏したいと思い立ち、同年5月の連休にギターを持って一人でスペインツアーに参加し、添乗員とツアー参加者の協力のお陰で、楽器持ち込み禁止だったアルハンブラ宮殿に隣接したカルロス5世宮の円形ホールで演奏し夢を実現しました。(この時の演奏もYouTubeにアップしており、高橋通康で検索してもらうと見つかります)

そして199812月(50歳)の時に現在も師事している福山敦子先生と出会いました。

当時門下生の発表会がなく、代わりにコンクール(以下コンクールと言うのはアマチュア愛好者が参加する中級部門やシニア部門のコンクールのこと)に出ることを勧められ、2000年(51歳)の5月に緊張感いっぱいで初参加したコンクールで「アルハンブラ宮殿の想い出」を演奏し奨励賞を、同年8月に別のコンクールで「フーガBWV1000」を演奏し金賞を頂き驚きました。自分の演奏が客観的に認められとても嬉しかったです。そして翌年以降もコンクールが大きな目標となりました。

コンクールで入賞を目指すには、「楽譜通りに弾く」ことではなく「楽譜にこめられた音楽を奏でる」ことが求められ、福山敦子先生のレッスンを継続しながら、国内外のトップギタリストのマスタークラス受講や講習会に参加して演奏力を磨きました。大阪でのコンクールに続き、山陰、山口、愛知などで開催されるコンクールや地区予選のある全国大会のコンペなどに積極的に参加し、入賞を重ねることが出来ました。愛知で開催された2009年(60歳)の中部日本アマチュアギターコンクールでは全部門の最高位である総合1位という嬉しいご褒美を頂きました。

2009年(60歳)でリタイアした後は、コンクールだけでなく老人ホームなどへの訪問演奏を積極的に取り組みました。唱歌や昭和歌謡をギター伴奏で歌ってもらい、映画音楽やクラシックギターの演奏を聴いてもらうなどの内容で、私一人で1時間の演奏活動をしました。多いときは月15回、年間150回以上をこなす日々となり、施設演奏がライフワークになりました。
 しかし、そんなペースを続けると2014年(65歳)後半ぐらいから右手人差し指にジストニア症状が現れ、パソコンでキーボード操作は平気なのにギターを弾こうとすると右手人差し指(以下iと言う)が思うように動かなくなりました。はじめは右手に筒を握って演奏しましたが上手くいかず、次第にiを全く使わないで演奏するようになりました。当然、右手の他の指の負担が大きくなり、練習と訪問演奏を減らしました。2014年の施設での年間演奏回数は68回に、2015年は37回、2016年は24回、2017年以降は年に数回に抑えました。ライフワークと思っていた施設でのギター演奏は結果としてジストニアを発症させ ギターライフを悪化させたのです。でも後悔は全くありませんでした。
 ただ本当に悲しいことに、最も大切な「アルハンブラ宮殿の想い出」と「フーガBWV1000」がi無しでは弾けなくなりました。コンクールはi無しで演奏できる比較的平易な曲を不自由な指で演奏するので成績は下がり、ギターライフは最悪の状態となりました。この苦しい時期に師匠の福山敦子先生からは、「指にトラブルがあっても演奏の音楽性を深めればコンクール入賞は可能」と指導してもらい、2015年(66歳)の山陰ギターコンクールでU.ノイマンの「愛のワルツ」を一音一音大切に歌うように演奏して1位となりとても嬉しかったです。   

そしてJ.S.バッハの「プレリュードBWV998」という曲もiを使わないで複数のコンクールで金賞をもらえたので、2017年(68歳)と2018年(69歳)の3月に東京の銀座ヤマハホールでのギターコンペ全国大会で満を持して弾いたのですが2年とも銀賞でした。この全国大会には地区大会金賞を経て10回出場し5回金賞を得ているので、再度金賞を得るためには音楽的にも技術的にも私の永遠の目標曲である「フーガBWV1000」が必要だと思い、i無しでの復活を決意しました。20183月から翌年の全国大会を目指してiを使わず弾く試行錯誤の毎日が始まり、復活の中間目標を5か月後の8月のコンクールに決めました。指の負担はきつかったのですが日々の練習でなんとかこの難しい曲をi無しで演奏出来るようになり8月を迎えました。そしてコンクールで「フーガBWV1000」を演奏し、結果は予想以上の銀賞でした。「フーガBWV1000」がi無しでそれなりに演奏が出来、本当に嬉しかったです。

そして20191月に開催されたコンペ関西予選(年末時71歳以上部門)を「フーガBWV1000」で勝ち抜き、同年3月の全国大会で「フーガBWV1000」を演奏し、念願の6回目の金賞を頂きました。さらにありえないことが起きたのです。このコンペは年齢別に9部門に分かれており、若手5部門と中高年4部門の各金賞受賞者からそれぞれ最も優秀な演奏者1名にグランプリが贈られるのですが、なんと私が憧れのグランプリに選ばれ、喜びを通り超し本当にびっくりしました。勿論、超々嬉しかったです。人生で最高レベルのプレゼントのひとつでした。

クラシックギターは独奏が中心ですが二重奏もあります。私は性格的に苦手でしたが、2014年(65歳)から同じ門下で同い年の岡直樹さんとデュオを組み、毎月1回の練習をするようになり現在も続いています。ギター仲間として、友人として最高の相棒で、2017年(68歳)で参加したアンサンブルコンクールでは最高位の大阪府知事賞を受賞しました。これからも二人でデュオを楽しみたいと思います。

今もコンクールへの挑戦は続けています。コンクールに参加し始めた51歳から昨年の73歳までの23年間で、参加したコンクールは162回(重奏を含む)、頂いた入賞賞状は124枚、うち1位あるいは金賞は49枚です。これからは老化により演奏力の維持が難しいでしょうが、面白半分に「めざせ!賞状200枚」をスローガンに、年間1枚も賞状がもらえなくなるまでコンクールに参加したいと思っています。

コンクールは大切なギター活動ですが、一方、聴いて頂く方と一緒に楽しめるのが施設での日本の歌や映画音楽などの演奏でした。指を痛めてからはこれらの曲もiなしで演奏していましたが演奏機会を減らし続け、2019年では何とか月一回1か所のみで続けてきました。しかし、20202月の国内で新型コロナ感染者発生により施設での訪問演奏は完全になくなりました。以後、100曲を超す唱歌、昭和歌謡、映画音楽などのレパートリーは二度と弾くことはないだろうと諦めていました。

ところが、20年来の友人の紹介で昨年7月から私の住むエリアにあるプライベートなコミュニティスペースである音楽ラウンジ「やさしいじかん」でハーモニカ奏者の三木さんとのライブコンサートが毎月1回のペースで始まりました。唱歌、昭和歌謡、映画音楽などの施設演奏曲のレパートリーから二人で演奏する曲を選曲し、練習日を作り、本番では10名前後のリスナーの前で楽しく演奏させてもらっています。iを使わないで演奏できるクラシックギター曲も7曲あるのでこれらも披露しています。ライブでのアンコール曲はiを使わない二音トレモロ(本来は3音トレモロ)での「アルハンブラ宮殿の想い出」です。少し不自由はあるもののフルスペックで私のギターライフが復活したのです。

右手人差し指を使わない私の演奏は、右手人差し指をギター楽譜の運指表記でアルファベットのiと表記することから「i(アイ)はないけど愛のある演奏」とギター仲間で知られるようになりました(笑)。

iなしでこれだけ弾けることは私自身不思議ですが人間の神経機能の素晴らしさにただ感心するばかりです。

 

そして、74歳の今でも充実した日々を過ごせるのはギターを通して折々に出会ったギター仲間やご指導いただいた先生方、そして活動を支えてくれた家族と友人達のお陰だと感謝の気持ちでいっぱいです。
 このお礼には私はギター演奏でしかお返しできないので、これからも聴いて頂ける皆さまに喜んで頂けるよう感謝の気持ちを込めて演奏し続けたいと思います。